シン・エヴァ感想(ネタバレあり)
シン・エヴァンゲリオン劇場版を観ました。2時間半超の大作であり、語るべき点は数多くありますが、とりわけ印象深い終盤とクライマックスについての感想です。
終盤、マイナス宇宙の世界でシンジが各キャラと対話するという展開があります。これはTVシリーズの最終話で、舞台がシンジの精神世界に一転するのと相似形になっています。TVシリーズではシンジが独りよがりな回答を得て結末を迎える(その後旧劇場版で崩壊する)のに対して、新劇場版ではシンジが各キャラを巡礼し、対話を重ねていくという点が大きく異なります。本当に成長しましたよね。
クライマックスでは(庵野監督の地元でもある)宇部新川駅に佇む大人になったシンジを、マリが迎えに来ます。そして手をつないで実写の世界を走っていきます。旧劇場版で、虚構の世界に浸る観客に冷や水を浴びせるような実写表現を用いたのに対し、シン・エヴァでは虚構と現実が地続きに描かれています。ここもグッときますね。
クライマックスでシンジの手を取るマリですが、庵野監督の妻である安野モヨコ氏がモデルではないか、という指摘があります。その所以については各所で多く言及されているのでここでは割愛しますが、現実の庵野監督・安野モヨコ氏と符号する点が多数あることとその内容を踏まえると、妥当な指摘なのだろうと思います。であれば、シンジが庵野監督の地元でスーツを着用してマリと駆け出していくというのは、結婚挨拶や結婚報告というか、結婚を暗に示しているのでしょう。マリに対するシンジのセリフや、マリがシンジのチョーカーを解く行為からも、二人の関係性が深まったことがうかがえます。また、マリが度々見せる、シンジの首筋の匂いを嗅ぐという行為は実際に安野モヨコ氏が行っていることなのかもしれません(庵野監督は肉・魚を食さないので仕事場にこもっても体臭が臭くならない、というエピソードも踏まえるとあり得そうな話なのかなと思います)。そうであれば庵野監督が「マリ=安野モヨコ」説を積極的に肯定しないのも納得できます。シンプルにこっ恥ずかしいですよね。
旧作のエゴイスティックで狂気じみた表現とは対照的に、シン・エヴァは一周回って拍子抜けするくらいありきたりです。旧作のトラウマを抱えた視聴者のひとりとして、新劇場版に対してはありきたりなハッピーエンドを心の底で望みつつも、旧作の圧倒的な独創性ゆえに、エヴァンゲリオンという作品でそれを目にすることは叶わないだろうという諦念を抱いていたので、良い意味で驚くことになりました。特に、オリジナルの(惣流の)アスカがシンジの告白をもって救済された場面では、自分があの赤い海の浜辺のシーンにずっと囚われていたことに気づくとともに、これを観るためにエヴァを待っていたんだと強く感じました。
新劇場版の制作が発表されてから今日に至るまで庵野監督をはじめ制作に携わった方々は素晴らしい仕事をしたと思います。本当にありがとうございました。
Giada:OSSで超軽量なループベースのDAW
GitHubでオーディオまわりのリポジトリを眺めていたら、「Giada(ジャーダ)」という面白そうなDAWがあったので(そして日本語の情報が見当たらなかったので)紹介します。
というのが主な特徴のようです。
とりあえずLinux版をダウンロードして適当なオーディオサンプルの音出しをしてみた時点での感想ですが、
- Linux版はAppImageで提供されているので、ダウンロードして権限を設定してやればあとは起動するだけ。起動はとにかく早い。
- UIはちょっとAbleton Liveっぽい雰囲気。ミニマルすぎてややわかりにくい感もなくはない。
- プロジェクトファイルは、jsonファイルとプロジェクト内で使用したオーディオファイルをフォルダに格納した形式で、ポータビリティに優れている(MIDIやVST/VSTiを使った場合どうなるかは未確認)。
という感じです。
今や無料で高機能のDAWが普通に手に入るご時世で、Ardourなどのメジャーで歴史のあるOSSのDAWもありますが、高機能な反面、軽快さ・わかりやすさに欠くところがあって、雑にループやワンショットサンプルを配置して遊ぶことができるOSSのDAWがあったらいいなあということをうっすらと思っていました。このGiadaはそんな欲求にピタッとはまりそうな感じがします。
公式ドキュメントやYouTubeでのチュートリアル動画も充実しているので、それらを参考にしながらもう少し使い込んでみたいと思っています。